遥かな山並み、小さな花・・・、幸せな気持ちにさせてくれるものいろいろあります
野原に春の使者が なんという名前?小さな白い花・・・ もう春! 草むらの猫ものどかな表情で 満開の梅の下で

平成29年如月


「はぁ、間に合った」・・・この数年、元旦の初日の出を近くの公園の丘で拝み、その足で熱田神宮へ初詣に出かけます。「早くしないと昇っちゃうよ」と声掛けながら数人で歩いてこられる人たち。「いつだって初日の出は拝める!」と軽口をたたきながら、歩を進めて頂上に向かって来られるご老人、ご近所さんたちと、建物の間から上がるお日様に手を合わせて無事初日の出を拝める事に感謝して、熱田さんへ。

 大好きな熱田神宮の奥の院、それに続く「こころの小道」は、9時に開門されますので丁寧に一社づつお詣りさせて頂くうちそろそろ時間。
昨年、一昨年と奥の院の入り口で同じお客様とばったりお目にかかっています。その方も奥の院にお参りしたくて開門時間に合わせて来られるとのことで、右からと左からのルートで、奥社前でお目にかかっていました。今年は、いつものところでお目にかかれなかったので、違うところに行かれたかしら、と思っていたら、小道の角を回ったところでバッタリ。「そこで会うのでは?」とご主人が、話されたところだったそうで、思わず大はしゃぎ。すいている時間とは言え沢山の参詣の人で賑わう中での出会えた嬉しさ。
 本殿の鳥居横の木の枝には、久しぶりの金色の鶏さん。熱田さんの鶏は飛ぶので有名ですが、このところ姿が見えずカラスのせい?、とか、トリインフルエンザ?、などと言われていたので一安心です。

龍神社で撮った写真は赤い光が炸裂し、奥の院の入り口近くの大きな樹に何気なくカメラを向けていたら緑色の靄がかかってきたような光に包まれたので、シャッターを押したら緑色に虹がかかったような写真が撮れました。カメラのせいだと思うものの、おごそかで美しく、なんだか嬉しい年の始まりでした。

よろこべば 喜びごとが よろこんで
喜びつれて よろこびに来る

平成28年師走


「わたぬき」懐かしい言葉を目にしました。旧暦41日をそう呼ぶのは、衣の綿を抜く衣更えの習慣に由来し、布が貴重な時代に、綿を入れたり抜いたりして着回していたという一文に、子供の頃着せてもらった「綿入れ」の温かさを思い出しました。
 そこから、まるで連想ゲームのように、子供の頃のあれこれが脳裏に浮かびました。
母が着物を洗い張りしている横で、伸子(しんし)(はり)で弓矢ごっこをしていたこと
布団綿が打ち直しから、(かさ)高くなって戻ってきた時のワクワク感。小さな真綿を母がキュキュッと引っ張るとどんどん伸びて面白さ。生地上に真綿を引いた上にたっぷりと綿を置いて、クルン。布をひっくり返す布団になるの魔法のようでした
ほどしたセーターのラーメンのように縮れた毛糸も、お湯を沸かしたヤカンに通すとまっすぐな糸になり驚いたことなどが、くるくると頭の中を巡りました。
 
 ある日、廃棄物処理場見学に行きました。ゴミの山で異臭が漂う、という所ではありませんでした。最近では、細かく粉砕したものを焼却し、灰を埋め立てるので場所も予定より長持ちしているそうです。水も幾つかの工程を経て真水のような透明なお水となっていました。技術の進歩はすごいものと感心しました。けれど、広大な土地に眠るゴミの元の姿は、一体どれほどの資源とエネルギーで産み出されたもので、処理にどれほどのエネルギーを投入されたのかと想うと、ためいきがでました。

 一軒の家に使われる木材が育った年月。布も糸もいのちが生み出してくれたもの。電化製品でさえも丁寧に使っていると、モノにいのちが宿りかけがえのないものになります。
断捨離は大切なのだけれど、う~ん、どれも愛おしくて捨てられないワ・タ・シ…。

平成28年長月


8月、エコール・グロッセのリュックさんが設計・植栽され、園芸療育プログラム「花っこクラブ」の舞台であり、世津子さんがメンバーの皆さんと管理されている花巻にある“東和ビオガーデン”の20周年記念コンサートに出かけました。
ビオガーデンを造った当初、小さな苗木を非難されつつ「3年待って下さい」と言って大切に育てたお庭は、見事な森に育ち、時が紡ぎだした色とりどりの木々と草花、大地と空と風がハーモニーを織りなす素敵な空間でした。

ステージを飾る見事なお花達は、ビオガーデンで育ったもの。夏の夜の野外コンサートの大敵の蚊よけは、ハーブとフローティングキャンドルの虫よけや、菊花せんこう。
ライトアップされた木々を渡る風が心地良く、芝生に寝転んで星を見上げながら音楽を楽しんでいたら、流れ星ひとつ…。心のこもった準備を見ているだけで温かな気持ちになり、素敵なスタッフの皆さんも、花園のようでした。

「木を植える事は、未来を植えること」が口癖のリュックさん。ご自宅も四方が緑に囲まれ、まるで木のように背高く育った色とりどりのお花は、どれも元気いっぱい。
リュックさんの細やかな気配りとあふれるような愛情を受け、ご自宅も、ビオガーデンの植物たちも色鮮やかで伸びやかでした。
音楽は、小鳥のさえずりと渡る風。目に入る景色と言えば山並みと、木々のさまざまな緑と何種類ものお花。そんな中に身を置いて、これほどの贅沢があるかしら、という時を過ごしました。絵日記を描きたくなるような夏休み。

平成28年皐月


我が家には友人が熊本でやっている“どれみ村”から宅配便で有機野菜が届きます。かれこれ25年以上、毎週金曜日に届くのが当たり前になっている野菜が、今回の地震でストップしました。えっ、このまま止まることもあるかも…、瞬間あれこれ思いが巡り、当たり前と思っていることは、決して当たり前ではないと改めて思わされました。
早々と1週間後に沢山の野菜が届きました。その数日後「あの日のキャベツの中が大変なことになっているようですが、大丈夫でしたか?」との問い合わせに、キャベツをむいていったところ、半分位のところからすごい状態でした。花芽らしい塊やら、2mmほどの太さで、もやしのような、虫がからみあっているように見えるものやら、黄色い花の咲きかけに見えるものありで、花芽が密集しているようでもありました。
生産者さんも、初めてのことだそうで、大雪だったのが一気に気温があがったせいではないか、とのことでした。地震で地熱が上がったことや磁場の乱れも関係あるのではないかしらと思えるような、グロテスクな程のエネルギーでした。
あまり美しくはないけれど、これほどになったキャベツの行く末を見届けたくて、水盤に水を張り観察し始めて1週間。1,2本トウが立ち始めました。その3日後位にはポツリポツリと花が咲きはじめ、緑の色が濃くなってきました。
そして到着して3週間…。何本もとう立ちして、花盛り。まるで盆栽のようになりました。
ふと裏返して、芯をみたら何本もひげ根が出ています。なんというたくましさでしょう。
鳥や動物も地震の前に姿を消すと言われます。いのちは秘めた力にみちています。

平成28年如月


植物の歌を聴きました。装置から流れる音の素晴らしさに身近な植物たちの歌が聴きたくなりました。自宅や会社の植木たちの歌は、それぞれ、メロディも音域も違い、同じ木でもその時々で異なります。高い声で軽やかに歌うもの、低音から高音まで幅広くゆったりとしている木とさまざまですが、どの歌もとても優しく、清らかで心が落ち着きます。

チューニングのランプが点滅しGOサインがでると嬉しくなり、止まるとどうしたのかしら、と水をあげたりする姿を、植物に飼われているみたいと家で笑われました。
植物に話しかけてはいても、返事がないので、どこか同じいのちの仲間と思いきれていませんでしたが、植物の歌を聴き、以前、気持ちが辛かった時、ふと気配のようなものを感じて目を向けた先に、長く花をつけなかった紫陽花が咲いていたことや、長く一緒にいるゴムの木が、励ましてくれているような気がしたことを想い出し、黙っていても、こんな波動を送ってくれていたのかと感謝の思いが湧きました。
我が家は二人暮しと思っていましたが、沢山のいのちと共に暮らしていました。
昨年の春頃でしょうか、散歩の帰りに公園の角を回ったところで、ザワッとした気配を感じて見廻すと、ノラ猫君がじっと見つめていて、止まるとまつわりついてきたことがありました。お正月休みに同じノラ君に又声をかけられました。止まるとタタッと近寄って、膝によじ登ってきました。飼われていたのでしょうか…、ひとしきり撫でて遊んだので、もう行くよ、と声をかけると降りて、ちょっと名残惜しげにした後、去ってゆきました。
もの言わぬ植物とも、猫とも交流できることはなんという嬉しさでしょう。

平成27年霜月

冷たい!思わず草むらに置いた足を引っ込めそうになりました。
雨上がりでもないのに?、不思議に思いよく見れば、草々に置かれた朝露でした。
朝日を浴びてきらめく小さな丸い宝石のような朝露で、裾がしっとり濡れるほどでした。
裸足のススメの本を読み、楽しそう!と思って始めた公園の裸足の散歩。見惚れながら歩くうち、舗装道路は太陽を浴び、既に熱さを覚えるほどで、これがヒートアイランド現象?と、思いがけない実感でした。
同じ草の広場でも、芝生のところと、クローバーが生えているところ、苔のところで、地面の感触、湿り気が全く違います。グランド広場は朝露どころか乾いてつんつん痛いほど。靴を履いていては分からない足元の発見に、子供のようにワクワクします。同じ場に行っても、足裏を通じて感じる大地の乾き、湿り気、冷たさは日毎に違います。
朝日が昇るにつれ現れる虹色の光に、お日様はあまねく全てを照らされ、その光の中で生かされているのだなぁとしみじみ思われ、知らず感謝の念に充たされます。
光りが強くなるにつれ、草に、木々に、人にスポットライトが当たるように広がってゆく様の美しさ、いのちの輝き。会社へ行くことを忘れてぼーっとしてしまいます。
毎瞬、毎瞬移ろう、光も、雲も、木々も。自然は惜しげもなく美しさを振りまいている・・・

空の青が深くなった。
木立の緑の影が濃くなった。
日差しがいちめんに広がって、空気がいちだんと透明になった
どこまでも季節を充たしているのは、
草の色、草のかがやきだ。
(長田弘 草が語ったことより)

平成27年文月

心地良い風の吹く日、久しぶりに出かけた近くの公園。
青空にすっくと立つヒマラヤ杉の濃い緑に染まる池に、いましたカルガモの赤ちゃん10羽。
お母さんを先頭にきれいに一列で すいーすいーと泳いでいるかと思えば、周りを取り囲んでぐるぐる ぐるぐる。ちょっぴりお母さんから離れられるようになったようで、群がったり、思い思いに散ってゆく子ガモたち。
水上を飛んでいるように、猛スピードで右に左に行き交う子もいれば、近寄ってくる子もあり、子猫のようなぽわぽわの産毛の愛らしさに時を忘れて見惚れてしまいました。

お母さんはじっと見守りながら遊ばせ、時に池の岸に上がって立つ様は、さぁ、子どもたち、と言っているようです。暮色に染まる池を、散っていた子供たちが集まり一列に整列して巣に向かう姿を見ているうちに、ざわめいていた心が穏やかに静まっていきました。

街路樹では、飛べるようになって間がなさそうなムクドリがほんの1mくらい飛んでは、ふーっ という声が聞こえそうな風情で羽を休めては、また飛んでの繰り返し。
我が家のベランダでは、4シーズン使われている七輪の巣と、排気口の上にかけられた巣からスズメの声がにぎやかです。餌を運んで行ったり来たり忙しそうだったお母さんの姿も見かけなくなりました。
小さな生きものの可愛らしさ、いじらしさ。お母さんたちの一途さ、けなげさ。
いのちは愛おしく美にあふれています。

小さいほど大きくて、大きいほどちっぽけである。
小さいものほど 大きな理由がある。
(「どんな小さなものでも みつめていると 宇宙につながっている」)
まど・みちお

平成27年卯月


満開の桜が咲く中、志士の里を訪ねる萩の旅に参加しました。
大和信春先生の解説で訪ねる旅は趣深いものでした。ゆかりの地で、お話を伺っていると、松陰さんや、晋作が通り過ぎてゆく様が彷彿として浮かぶようでした。吉田松陰が教え、高杉晋作も学んだ毛利家の子弟教育のため建てられた旧萩藩校だった明倫館には、当時の道場、水練場もあり、昭和10年に藩校跡地に建てられた堂々たる旧小学校本館は、昨年まで使われていたそうです。毛利藩が教育を大切にしたことが知に対する欲求を深め、時代を動かす人を輩出したことにつながるのではと思われました。

外国船から城下を自らの手で守ろうと、武士の妻たちも参加して土塁を造ったという女台場は目と鼻の先が海でした。吉田松陰誕生地、松下村塾、野山獄、涙松跡等どこもかしこも歴史の生き証人のようでした。中央から遠く離れた地で、動き回った人たちの事を思うと、変革は辺境からという言葉が脳裏に浮かびました。

最後に訪ねた下関の櫻山神社に心を揺さぶられました。高杉晋作の発案で建立された日本初の招魂社。吉田松陰から名もない人に至るまで、霊標が整然と並び祀られていました。松陰さんだけは、ほんの少し背が高いですが、高杉晋作も、山形有朋も、みな同じ高さ、形で、武士、町人の身分制を超えた新しい時代への理念を伝えているという場所でした。丁度桜祭りの日で、150周年でもあり日頃は見られない高杉晋作木像も拝観できました。
満開の枝を広げた桜の樹の下で、花びらに囲まれ、静かにたたずむ霊標は、眠る人たちの思いを語りかけるようでした。鹿児島の知覧特攻平和会館でも感じましたが、後世のため一途に生きた人たちのバトンを確かに受け取っているか問われている思いでした。

ここまでやったのだから これからが大事ぢゃ
しっかりやって呉れろ。しっかりやって呉れろ
(晋作最晩年、見舞に訪れた同志に言った言葉)

平成27年睦月

なぜ こんなに見飽きないのかと思うほど 空が好き。
刻々と色を増してゆく日の出前の薄紫色から茜色のグラデーションは形容する言葉が見つからない美しさ。さまざまに形を変えゆく雲の面白さ。
日の出近くから鳴き始め、空を飛び交う小鳥たち。ねぐらから出かけてゆく鵜の隊列の見事さ。はぐれたのか、何だか必死の様子で一羽飛ぶ鵜に思わずエールを送り、空を染める夕陽に見惚れ・・・。数えだすときりがありません。

久しぶりの山で、サーッという樹々のそよぎのような音、
「ん、風はないのに?」
目を上げると青空の中を、あられが落ち葉に降り注ぐ音でした。空が広くなった静かな枯れ木立の雑木林で、ほんの束の間の音楽会。
夜、ふと見上げた空は落ちてきそうに大きな星々がいっぱい。外に出ると周りは雲で覆われているのに、真上だけぽっかりと雲が切れ、きらめく満天の星。北斗七星がすぐそこにあるように思えるほど近く、星空に吸い込まれそうな、銀河の海に漂っているような、不思議な感覚で、星のまたたきの澄んだ音色を聞いた気がしました。

カメラを楽しむようになり、ほぼ同じ時刻、同じベランダの、同じ位置からカメラを向けても、一枚として同じでないことに一瞬、一瞬移ろいゆく自然、いのちの営みを感じます。
生きているのは、今の積み重ね、空を見ていると思えます。

木 はひとつも言葉 をもっていない
けれども 木 が微風にさやぐ時
国々で 人々はただ ひとつの音に耳をすます
ただひとつの世界に耳をすます
(谷川俊太郎詩)

平成26年神無月


雨上がりの朝、空にきらめく小さなビーズ玉はクモの巣に残る水滴
見惚れていたら、すぐ上を手足の長いきゃしゃなクモが忙しそうに動いています。見るとすごいスピードで右に左に動きながら糸を張っています。おしりのあたりから糸を出しながら、時々曲芸のようなポーズで、糸を留めては、右に左に…
みるみる見事なクモの巣が出来上がっていきました。
細長い手足は淡い水色と黄、黒のシマシマセーターを着ているようで、きょろっと、ひょうきんな目。お初にお目にかかります、と挨拶したくなるクモさん。
クモの巣は、外周と、内周で織り方が違い、規則的であり、不規則。こんな美しいものを迷いなくすごいスピードで、小さなからだで織りあげるってすごい。クモが苦手な事をすっかり忘れる出来事でした。
部屋に迷い込んだ玉虫は、ガラス戸にあたりながら外に出ようと一生懸命。落ちては引っくり返ってジタバタしながら、何度もなんども再挑戦。神様のプレゼントのような輝く玉虫色にもほれぼれ。小さな虫たちの無心さが心に沁みる森の朝…。

毎日、戸外へ出かけていった一人の子どもがいた
そしてある日、最初に目にしたものを、子どもはじっと見つめた
すると子どもは、自分がじっと見たものになった
そしてその日中、あるいは、その日しばらくのあいだ、
いや、何年ものあいだ、いやひろがりめぐりゆく歳月をとおしてずっと、
子どもがじっと見つめたものは、その子どもの一部になっていった
(なつかしい時間 長田弘より ホイットマン)

平成26年文月


レンズを通すと肉眼で見るのとは違った世界が見える面白さに、カメラを変えてから空を仰ぐことが一層多くなりました。
大好きなお月さまも少しは撮ることができるようになったのが嬉しくて、夜毎に空を見上げています。くっきり美しいお月さまは勿論のこと、雲がかかり、毎瞬のように色・形の変化する夜は、目が離せず落ち着きません。
同じ位置で見ていると月の出、位置が日々大きく変わることに今更のように驚かされ、昔の人が夜毎満ち欠けするお月さまに立待月、居待月、寝待月…などと名付けた思いに共感し、しばし古の人と気持ちが通じ合ったように思われます。月の満ち欠けを見ていると、私も宇宙の旅人という気がします。
常に姿を変える雲を飽きず眺め、風のそよぎ、うねりに心を奪われ、雨あがりの水滴と光が折りなす世界に魅了され…刻々と移ろう自然のすべてが愛おしく心揺さぶられます。
春、芽吹き始めた枯れ木立はあっという間に葉を繁らせ、播いた種の育ちゆく姿は神秘的、地表10cmに満たない世界の草花や虫たちの肉眼では見えない美の極致…。
じっと見ると何もかものかけがえなさが迫ってきます。

わたしのねがいは
呼吸を合わせることである
石とでも
草とでも
呼吸を合わせて
生きてゆくことである
「坂村真民「ねがい」より」

平成26年卯月


よかった、生きていた!
いつも行く山の道端に立つ大きな桜の樹が、3年ほど前でしょうか枯れていました。
途中で折れ、コケが生え、痛々しい姿になっていましたが、根本から分かれた3本のうち、1本は多少生気がある様子だったので、もしかしたら…、と思いつつ、多分このまま朽ちてゆくのだろうと思っていましたが、久しぶりの散歩道で、ふと見上げて驚きました。
ところどころ葉でおおわれています。思わずカメラを向けたら花がふたつ、目に飛び込んできました。よくよく見れば、花が終わり葉桜になっています。小躍りしたくなる嬉しさでした。なんてスゴイ生命力でしょう。
もう1本の桜は、こんな所にしだれ桜があったかしらと近づいてみると枝がぽっきり折れ、皮一枚でつながって垂れて地面につきそうになりながら花をいっぱい咲かせていました。
道端の草たちも小さな、小さな花を咲かせています。淡い水色、黄色、白、紫色…色とりどりのいのちを輝かせ、何とも言えない可愛いらしさです。名も知らない草たちはカメラで撮ると、よくこんな色、形ができるものと感動する美しさです。
右を観ても、左を見ても、いのちあふれる春爛漫。
春がこんなにも心騒ぐのは、宇宙のリズムに体が呼応しているからだそうですが、この湧き上がる喜びは、なにものにも換え難い宝ものです。
自宅のベランダでは、嬉しそうな声で鳴き交わすスズメたちの声。目を上げると、プランターのセージに二羽の雀。スズメやヒヨドリが桜の花をつまんで散らしていますので、咲き始めたセージの花は大丈夫かしらと、はらはらしましたが葉をくわえて飛んでゆくので、それなら…と思っていましたが、新芽もつまむらしく先が消えた茎が何本もあります。
スズメがハーブの葉をつまみ食いするなんて思いもかけませんでした。どこに運ばれたのでしょう、セージの葉。

平成26年睦月


海から昇る初日の出が見たくて、車を1時間ほど走らせました。
近づくにつれ増える車。とうとう渋滞に巻き込まれ、ちょっとやきもきしたものの、無事初日の出に間に合いました。厚かった雲が陽が昇る頃には切れ、島影から昇るお天道様の鮮やかなオレンジ色が波面で煌めいて見惚れました。
しばらく後、又、雲隠れ。拝ませて頂くほんの一瞬のおでまし、という感じでした。
最近のカメラは、小型で性能が良く気軽に撮れるので楽しんでいます。

 自宅のベランダから見る同じ景色が、お天気や時刻、季節により、いつも違う姿を見せてくれます。朝焼けの茜色、燃える夕陽、ほれぼれするお月さま。さまざまな形の雲、そこから差し込む泰西名画のような光。凛とした枯木立、ぷっくりとした芽吹きの愛らしさ、色を増す木々の緑や、遊ぶ小鳥たち…。いのちは、なんと輝きにみちているのでしょう。

カメラを向けるようになり、一瞬の光の色や、移ろう色の微妙さに一層心惹かれるようになりました。刻一刻変化する美しさに目が離せません。
山紫水明の美しいところはもちろん素敵ですが、身の周りほんの数mというところで、千変万化する姿を飽きず眺めているのも好き。カメラを通すからこそ見える、肉眼では見えない瞬間の美しさに感動し、苦手だった虫さえも親しみを感じるようになりました。
知ること、微かな違いに気づけることは嬉しいことです。
ヨガで、自分のからだに意識を向けていると、身体と親しくなってゆく気がします。
外なる自然と同じように、内なる自然である身体の中で起こっているであろう数多くのドラマに気づけたら、もっと身体が愛おしくなることでしょう。細胞のふるえが感じられるほどの繊細さで、宇宙のリズムと共振するいのちを楽しみたい・・・

微小な事柄に気づくことを 明と名付け
柔を守ることを 強と名付けよう
こうなれば五感はますます冴え
心身に災いを起こすことはあり得ないのである
これを永遠の静寂と名付けるのである
(老師)

平成25年霜月


えっ、これで1本の樹?!
旅の音楽家丸山祐一郎さんとはるちゃんから何度も話に聞き、会いたかったイチョウジイ。
丁度ご自宅に戻っておられたお二人に、夕闇迫る中を案内して頂きました。

大イチョウは、聞きしに勝る存在感で、そこにありました。
何人いれば抱えられるのかしらという太く、絡み合った幹。天にそびえる巨木が、びっしり茂った枝を大きく広げ、1本で森のようでした。樹齢700年と言われているそうですが、中世からそこにあった大イチョウは、ずっと村人を見守り続けてきたであろう威厳にあふれていました。
紅葉するのは村で一番遅く、落葉する時は、一日かけて全部の葉を落とすそうです。
まだ緑色でしたが、淡い黄緑色から黄色へと色が移ろう様、黄金色の葉がはらはらと落ちる様子を想像するだけで溜息がでました。
かろうじて夕陽の残る刻から、光を失うまでの短い時間でしたが、闇に沈んでゆく大木は幽玄で、良い時に出会えました。
我が家のベランダ前のケヤキは、重みを減らした樹々の葉が軽く風に揺れている様に感じられる頃から彩りを増し始め、樹の間から見える空が少しづつ広くなり、日毎、色を増しています。こんな色がどうして生まれるのかと、あかず眺める一枚の枯葉がくれる贅沢なひととき。時は毎瞬移ろい、日々同じ景色はないけれど、自然が惜しみなく美を提供してくれる秋の移ろいは、ひときわ心に沁み、又巡り合えた喜びを感じます。

なくてはならないもの
何でもないもの なにげないもの
ささやかなもの なくしたくないもの
ひと知れぬもの いまはないもの
さりげないもの ありふれたもの
(長田 弘 死者の贈りもの)

平成25年長月


緑深い夏の林で、舞い込んだ黒い蝶が廊下に止まっていました。時折ガラス戸に向かって羽ばたいては、じっとしているのでカメラを向けました。しばらく後、飛び立ったのを見ていたら、何を思ったか、戻って私の手首近くに止まりました。
えっ、蝶々が?!嬉しい気持ちで、そーとしていたら、腕に足が食い込むほどしっかりつかまって、口先をモニョモニョ。汗でもなめてミネラル補給でしょうか、くすぐったいのを我慢して、これ幸いと片手でカメラを持ってアップ撮影成功!
口元と言うのか、首元はきれいなブルーのほわほわ。触覚はおしゃれな縞模様。何て美しい造形でしょう。腕を伸ばし、逆さにしても動じることなく、肘のあたりまで移動しました。しばらくそうしていましたが、止まり木をしているのに疲れ、では又ね、と大きく動かしたら飛び去ってゆきました。ふと、その場をとても愛していた天に帰った友人が訪ねてくれたように思われました。
数日後、自宅のベランダに2cm足らずの小さな白い蝶がひらひらと飛んできました。写真が撮りたくてもせわしなく動いて止まってくれず、そのまま行ってしまいそうなので、心の中で、おいで、写真撮らせて…、とお願いしたら、何と一度視界からいなくなった蝶が戻って、ホーリーバジルの花に止まってくれました。
白いレース模様のような可愛らしい姿。数枚撮らせてもらって、ありがとう、というと去って行きました。心が通じたようで何とも嬉しい気分でした。
そして、お盆の頃、又山の家に舞い込んできた茶色の蝶々。畳に止まって、せっせと何か吸っている様子。前から、横から、しっかり写真が撮れました。黒い蝶々と同じような模様です。それにしても山の蝶々は、おっとりしているのでしょうか。全く逃げる気配も見せず、じっくり楽しませてもらいました。幸せな気持ちになれた夏の蝶々のものがたり…。

平成25年水無月


はぁ~、久しぶり…。目に入る山並みに胸が弾みます。
降り立つと、むせかえるような青くさい生気あふれる樹々のニオイに包まれ、心が泡立つような新緑の季節。
風にあおられ、身をひるがえして踊るかのように葉裏を見せ、枝をふるわせる木立。いのちの躍動に見惚れます。
初夏を告げるタニウツギのピンク。見過ごしそうなニワゼキショウの小さな花は、淡いピンクに濃いピンクの線が入り中心は黄色、なんておしゃれ!
小さなハハコグサは可憐な黄色、野草たちのなんと愛らしい美しさでしょう。
木の間がくれにポッカリと上弦の月。闇から低く聞こえるホトトギスの声。
いのちの交響曲があふれる森。

自宅に戻ったら、植え込みに孵ったばかりの雛が落ちていました。生と死は背中合わせ。
ベランダにある雀の巣から聞こえる、覚束無い声に無事育ってと祈るような思いです。
とうが立った一株のイタリアンパセリから、20本程の花径が伸び、その先に、それぞれ20位ついていた花が咲き始め、かすかな甘い香りが漂っています。地味な花ですが、線香花火がたくさん集まっているみたい。小さな花火が、次々咲いてゆきます。全部種になったら…、ワッ、来年はイタリアンパセリの畑ができるかもしれない! 楽しみです。
虫を引き寄せ、ひたむきに咲く花たち。自然の自然な営みが保たれますように…。

平成25年弥生


我が家のゴムの木は結婚した時からずっと一緒に過ごしているので今年35歳。
もっと広い場であれば、とうに天井を突き抜ける勢いですが、冬場ベランダから部屋に入れるのが大変なので、ガラス戸の高さでがまんしてもらっています。横幅2m余り、枝を切っては挿し木した子どもたちは、何鉢お嫁にいったことでしょう。
もっと大きな植木鉢にしてあげたいし、土の交換もしたいけれど、あまりに重くて動かせず、10年以上同じ土と植木鉢のままです。
もしかしたら木は土だけで生きている訳ではないかもしれないと思う時があります。
以前、心がふさがって、植物達に心をかける事が出来ない時がありました。水やりはしていても、言葉をかけたり、思いを向けるゆとりがありませんでした。その時、いつも元気だったゴムの木が生彩を失っていきました…。ふっと、気持ちを向けられなくて寂しがっているのかもしれないと思い、あわてて、“ごめんね、忘れているわけじゃないからね”、と葉っぱを触りながら水やりするようになったら元気が戻ってきました。植物は、人に寄り添ってくれているかもしれません。いわば我が家の大黒柱のようなゴムさんです。
ベランダの前に広がるケヤキも大切な友達のひとり。四季折々のさまざまな姿と、訪れる小鳥たちの声で楽しませてもらっています。
ある雨上がりの朝、窓の外がキラキラしていました。ん?ベランダに出てビックリ!
枯木立の幹と言わず、枝と言わず、先の細い枝先まで、ころんとした雨粒がひとつぶ、ひとつぶ、形を保ったままついています。その雨粒が朝日をうけて、きらきらきらきら光っていました。ぬめったような幹、光るビーズのドレスを身にまとい、大きく手を広げているかのようで、音楽が聞こえるような気がしました。
もの言わぬ存在の豊かさは、かけがえのない宝物です。

平成25年睦月


近くの公園に散歩に出掛けました。池にのんびり浮かんでいるカモを見ていたら静かな水面が揺れ始め、ん?と、揺らめく先を見ると、二羽のカモが大喧嘩を始めたところでした。
体をぶつけ合い、右に左に追いかけ合って、ものすごい水しぶきをあげながらのバトル。
あわててカメラを向けました。すごいスピードで上手く撮れなくてウロウロしているうち
1羽が少し離れたところに泳いだかと思うと、立ちあがって、数度羽ばたきして、別の方に悠然と泳ぎ去り、池は前の静けさに…。
あっという間に喧嘩が始まり、あっという間に終わって、何事もなかったようなカモさん達でした。

家に戻り、たまたま手に取ったエックハルト・トール著「ニュー・アース」。
ぱらっと開いたところが、なんと「カモに人間の心があったら」という章でした。
“カモの争いは決して長くは続かず、すぐに分かれてそれぞれ別の方向に泳ぎ去る。喧嘩のあいだに積み上げられた余分なエネルギーを何度か羽ばたいて放出して終わり。これが人間だったら、「あいつがあんなことするなんて」とか「あーでもない、こうでもない」といつまでも尾を引くだろう。~カモが教えてくれるのはこういうことだ。ばたばたと羽ばたいて― 記憶や感情を手放して、今に戻りなさいということ”といった事が書かれていました。目の前で繰り広げられた情景そのもので、納得のカモの喧嘩でした。

すぐ近くのヒマラヤ杉のてっぺんには、ムクドリのような鳥が鈴なりで、時折一斉に飛び立っては戻っています。
ベランダでは、スズメとメジロが交互にやってきて、首をのばしながらキョロキョロっとしては、ミカンをついばむ様子が可愛くて見惚れてしまいます。
身近に、小さな生きものが息づいていることのシアワセ・・・。

平成24年11月


「こちらの入り口からどうぞ」―― 築100年になるという古民家に招じ入れられると、目の前に生成り色の布のトンネルが、誘うかのように待っていました。
その瞬間、非日常の世界に入り込みました。
柔らかな布のトンネルを進むと、奥は仄かな明かりに、さまざまなドレープが織りなす陰影の美しい洞穴のようでした。お膳が客人の訪れを待っていました。
不思議な空間で始まった静かな夜の宴。籠に秋の彩りが生けられていくのを楽しみながら杯を傾ける。時の流れの豊かさに身をゆだねました。

「雀どのお宿はどこかしらねども ちょつちょつ御座れ酒(ささ)の相手に 四方赤良」
     巻き寿司の黄身月  おきつねこんこん
     雲子の天麩羅     ふあふあ
     衣かつぎ        あいたくてころころ
お品書きに、どんなお料理がでてくるのかと興味津々でした。ギター演奏や、二の膳と夜がするすると更けてゆきました。

光に浮かぶドレープは夜と違う趣で、柔らかに包みこまれ珈琲の香りとかすかに流れる音楽で目覚めた朝。庭には花や木々があふれかえっていました。
それぞれにお花や実の箸置が置かれた朝の膳。薪で炊いたご飯の美味しさは格別でした。
しつらえも、お料理も奇をてらうのでなく、美意識の結晶のようでした
数年前、友人の結婚式で出会った方からお誘いの宴で、始まりから解散まで、心を尽くしたあれこれに思う存分命の洗濯をしました。
ただ楽しむ為に出掛けたのは本当に久しぶりのことでした。
思いの丈を表現された空間、おもてなしの何と贅沢だったことでしょう。
つい妥協しがちなあれこれを反省しつつ、充たされて安曇野を後にしました。

平成24年8月


今年も元気に乱舞する蝉。ベランダに立つと耳をつんざく大爆音に、話し声が聞こえないほど、時折、顔にぶつかってきますが、いのち一杯に生きている姿と思うと愛おしい。
ある日、いつもと違う蝉の声。見ると、カラスが口を開いてケヤキの枝に止まっています。蝉が飛び込んでくるのを待っているかのようで、時々、口を開けたまま枝をピョンピョン飛び移っています。あんなことで捕れるのかしら、しばし見学してしまいました。

かすかに、鼻の奥に土ぼこりのニオイ。あっ、夕立が近そう…。
しばらく後、激しい雷と土砂降り。絵に描いたような稲妻、木立のシルエットが浮かぶほど明るく空を染める雷。たたきつける雨に水煙を上げる屋根の水の流れの面白さ。
最近の夕立は、まるでスコールで、あっという間に様相を一変させる自然の営みのものすごさに、雷の音に首をすくめながら、わくわくして見惚れてしまいます。
 ふいに、雨に打たれ、右に左に揺れる緑の風のような、田んぼの風景が目に浮かびました。子どもの頃、田舎でみた田んぼでしょうか…。
ひとしきり降って、うそのように静まり返った夕暮れに、ちりんちりんと涼を運んでくれる風鈴の音に、蚊帳の中で遊んだ日を思い出し、まるで連想ゲーム。
心の奥底に沈んでいたものは、思いもかけない時に顔をのぞかせるものです。

猛々しい程の日射しにふと垣間見る翳り、蝉の声が力を失いつつあることに気付く瞬間、
夕暮れの黄色っぽい日射しを浴び、少ししおれた葉を揺らすプランターの夏野菜、光に透ける葉影の美しさ・・・。
汗をぽたぽた落としながら、心惹かれるよしなしごと。小さなことごとに、いのちの喜びを感じる夏です。

平成24年6月


枇杷の実がいくつかうっすらと色づき始めたと思う間もなく、ヒヨドリが偵察にやってきました。ついばんだものの、まだ固くて歯が立たなかったらしく、皮に傷だけ残していきました。食べられるのも時間の問題と思ったとおり、翌朝には半分食べられた実を発見!
全部で15ヶ実った枇杷の実。都会は果実が少ないので、何羽が喜んでくれるかしらとワクワクしていたある日、人がもいだように丸ごと無くなっていて?。 そこへカラス登場。ぱっとくわえて飛び立ちました。差別するつもりはないけれど複雑な気分…。

北のベランダにある七輪のスズメのお宿は、3シーズン目。今年も2羽巣立ちの時を迎えました。心もとなさそうに、手すりにとまった子スズメのドキドキしている鼓動が聞こえそうです。近くの枝に飛んでは、戻り、を繰り返しています。小さないのちのやわらかさ、好奇心の強さに惹かれます。
 巣から落ちたらしいカラスの子どもが、道路でバタバタしていました。危ないから植え込みにでも入れたいけれど、人間が触れると親鳥が嫌うと聞いているので通りかかった人と、車にひかれないよう見ていたら、近くの樹でギャーギャーと鳴くカラス、子どもをうながしたようです。びっこを引きながら植え込みに飛びこみました。

 会社では、私が座っている斜め後ろあたりの屋根の下、雨があたらない所にムクドリが巣をかけて、えさをねだる賑やかな声がバックグラウンドミュージックです。よくあんな隙間を見つけるものと感心するような場所で、ほんとに賢いものです。


風に揺れる樹の枝、小鳥のさえずり、咲く花に囲まれることの、なんという贅沢…。

春の小鳥の声は、なぜ
あんなに朗らかなのだろうか
ただ繰り変えず旋律に、なぜ
無限の響きがこもるのだろうか

(伊那谷の老子より 加島祥造著)

平成24年4月


光の色、とろんとした空気、知らぬ間にそこここに広がる草…。

春の訪れを告げるしるしを見つけると心が浮き立ちます。花粉症だった頃は、花が咲き始める時期に症状が出て、生命力にあふれた濃密な春の気に圧倒されるような気がしたものでした。花を心ゆくまで愛でることができるようになった時の嬉しさは格別でした。

春の植え替えの準備に、サンバースを土に混ぜると、待ちかまえていたかのように、スズメ達がやってきて、砂浴をしつつ、食べ散らすといった感じでまわりが砂だらけ。ほんとによく知っています。ある日、プランターの中を動き回っていたスズメが、巣の材料でしょうか。枯れ草や、草を、口いっぱいにくわえて飛び立つのを見ました。

昨年、我が家にはスズメの巣が二か所ありました。
一つは、七輪を利用したもの。もう一つは、ガスの排気口の上に、巣除けに取り付けられた金網かごを利用して、葉をいっぱい詰め込んでしっかり作られた巣です。壁とかごの間に隙間はほとんどなく、よくまぁ作ったもの、と生きる力と、賢さに感動します。

今年も、換気扇上のカゴが利用されています。草をくわえて飛び立ったスズメのように、葉をくわえて一体何往復したのでしょう…。

1月に咲いた枇杷の花は、1㎝くらいのボールのような可愛い実になっています。「桃栗3年、柿8年」と言いますが、さらに「ビワは9年でなりかねる」ということわざもあるくらい実になりにくいそうです。プランターで、食べた種を蒔いて、かれこれ4年でしょうか。それを知って一層嬉しく、毎朝、可愛いボールに声をかけています。

桜を愛でて、そぞろ歩きの公園で会ったネコたちは、撫でて撫でて、とまつわりついてきました。
春は、そこここに幸せがあふれています。

平成24年2月


まだ明けやらぬ西の中空にお月さまが冴え冴えとした光を放ち、東の空に薄く色が広がり始めた美しさ。空に水色が広がるにつれ、お月様が白くなりゆく様に見惚れてしまいます。

かすかな甘い香りに鼻をくすぐられ、見まわすと琵琶の木に、小さな白い花。
いつだったかに食べた琵琶の種から、プランターで1mほどに育った木。枝分かれした全てに薄茶色の丸い玉の固まりがつきました。その一つの小さな粒から、まるで熊の縫いぐるみのようなポワポワにくるまって小さな白い花が咲いていました。
甘い香りを漂わせ、順番に花開いています。道端でみかける琵琶の木は見上げるような高さなので、こんな、可愛い花が咲くなんて知りませんでした。
長く、花と香りで楽しませてくれたホーリーバジルは、流石に今年に入って一気に立ち枯れましたが、それでも甘い香りが漂います。刈り取って種まく日に備えましょう。
ゴムの木は巻き付いていたゴーヤごと家に入れて冬ごもり。ゴーヤは、12月もまだ葉が緑色で、つぼみもつけていて驚くばかりでした。流石に年末の大掃除の頃には枯れてきましたが、家の中でも最後の花を一輪咲かせました。奥の方で、指の爪くらいのサイズの実が隠れていてビックリ。小さくてもゴーヤのつぶつぶをまとっていました。
食べた後も、咲いた後も楽しませてくれる種。運んでくれる幸せのなんという豊かさ…。

たそがれ時 あかね色に染まる中に浮かび上がる枯木立を見るともなく見ていたら、ふいに鼻の奥がつんとして、わけもなく涙がこぼれました。

こころよ では いっておいで
しかし また もどっておいでね
やっぱり ここが いいのだに
こころよ では 行っておいで
八木重吉「心よ」

23年11月 49号

カサコソ、タタッ…、朝早く子猫たちがじゃれあっています。あっ、あの仔たち!

ある朝、あまりのお天気の良さに、洗濯物を干しながら、べランダにもたれかかり階下の植え込みを見ていたら目の中に飛び込んできた茶色っぽい固まり。ん…、ネコ?!

のぞきこむと、母さんと子猫たちの4匹が団子状態で、気持ちよさそうな草のじゅうたんに眠りこけています。あわててカメラを取りに走りました。以来、定点観測の日々。

そんなある日、草取りされ坊主頭のように地面がむきだし。ニャンコ一家の居場所がない…、がっかりしていたら積まれた草が乾いた頃、草のお布団に戻ってきました。数日後、草の山も片付けられ、あぁ~あ、と思いつつ廻りをキョロキョロ・・・、いました!

少し離れた木の根本に丸く植えられた植物の真ん中にすっぽり収まって、風よけ付きスペシャルハウス。小気味よいほど心地よい場を確保する術に長けています。行動半径の広がった子猫たちが、植え込みの外に出始めると母さんは、横でのんびり昼寝しているようなのどかな風情。でも全身神経を張り巡らせ見守っています。数日後、動きが確かになった子猫達に、尻尾を動かして誘っては、狩りの練習。なんて子育て上手な母さん。

・・・この数日見かけなかったので嬉しくなりました。


お盆過ぎに撒いたホーリーバジル。毎朝、毎晩、出てきてね、元気でね、と声をかけた甲斐あってか、遅ればせにもかかわらず、すくすく育ち、花が咲き始めました。

8本芽が出ましたが成長はさまざま。2本は、育ち始めの頃、スズメに乗られたのか中心の枝がポッキリ折れてしまいましたが、枝を沢山伸ばし無事花が咲き始めました。枝分かれしたそれぞれに花芽がついていて、全部咲いたら、来年はホーリーバジル畑ができそうと、ワクワクします。

ゴムの木の横の鉢からは撒いた記憶のない芽。伸びてきたのは、なんとゴーヤでした。土を使い廻しているので、以前食べた種をまいてあったのが出てきたのでしょうか。どんどん伸びてからみつき、ゴムの木にゴーヤの花が咲いて、小指位に育ってきたものもあります。もうすぐゴムを家に入れる季節、その前に実りますように。

小さなベランダの豊かな恵み、朝の幸せがイッパイ。

23年9月 48号

車から降りた途端、鼻の奥に夏の森のにおいが広がり、こだまするように響く、ミンミンゼミと、ヒグラシの声に包まれました。最近の名古屋はアブラゼミとクマゼミばかりで、今年初めてのミンミンゼミ。やっと会えたね、という感じ・・・。
鶏舎に近づくと鶏がそわそわし、お留守番の犬達がワンワンとお役目を果たしています。
寝転がりたくなる草むら、森の木々は深く、陽が落ち、迫る夕闇…
昔、こんな光景に出逢った気がする懐かしさを覚える福島でのひとこま。

我が家のベランダでは、去年の七輪の巣から今年もスズメの子が巣立ち、排気筒の上にもびっしり葉を詰め込んだ新しい巣が増えましたが、今はしんとしています。
スズメの砂浴場として占領されたプランターに頭から突っ込んだセミが、横に広がった羽根が閉じられず砂まみれの顔でジタバタ。とんだ受難でしょうが、じっと見つめる丸い目がかわいらしく思わず笑って記念写真。
ゴムの木で、我が家の主の苦手なカマキリが孵り、しばらく御滞在。葉と同じ黄緑色で隠れていました。早くどこかへ行ってねと、お願いする日が続きました。

お盆過ぎ、遅ればせに蒔いたホーリーバジルの芽が出て、毎朝あいさつする日々。
そろそろ夏が終わります・・・

この場所で生まれた。この場所で
そだった。この場所でじぶんで
まっすぐ立つことを覚えた。
空が言った。―――わたしは
いつもきみの頭のすぐ上にいる。――

長田 弘「樹の伝記」より

23年7月 47号

ある日会社に戻ったら何やらワイワイ賑やかでした。
なんとツバメの子にエサを上げようとあの手この手の真っ最中。
事務の昌代さんが、出勤途上に車近くに落ちていたという子ツバメを連れて出社されました。
巣立ち近くなって失敗したのか、燕尾服のような羽根の片側が短く、障害を負っているようなので、そのためなのでしょうか…。
何とも人なつこく、えさの小虫を爪楊枝で口に入れてもらい、小さな箱に藁がわりの紙を敷きつめた中に渡された箸に止まって、つぶらな瞳でじっと見つめる様子は可愛くてたまりません。手に止まらせてもばたつきもせず、こんな間近でツバメを見たことがありませんので、仕事も手に着かず、ずっと眺めていたい気分でした。
昌代さんは、落ちていた辺りを探してみますと、連れて退社されましたが、ほんとに可愛いらしく、できればこのまま飼いたいと思う程でした。
翌朝…、残念ながら単身出社でした。
夕方、子ツバメを箱に入れ辺りを歩き回ったところ、ベランダ近くにツバメがやってきて鳴いているのでお母さんかな、と思った矢先、子ツバメがジャンプしてベランダから飛びだしたそうです。あわてて下に降りて辺りの茂みを見ても落ちている様子はなく、多分お母さんが無事連れ帰ったのでは…、とのことでした。

我が家では、昨年ベランダの七輪にスズメが巣を作り3羽巣立ちました。なんとなく壊しては申し訳ないような気がして、そのままにしてあった巣が今年も再利用されました。
少々草を積み増した程度で、子育てに励み、又も巣立って行きました。
戸を開けるのも、物音を立てるのも気遣い、そーっと過ごした日々が今年も終わりました。

鳥は生を名づけない
鳥はただ動いているだけだ
鳥は死を名づけない
鳥はただ動かなくなるだけだ
(谷川俊太郎 「鳥」より)

23年4月

はぁ~、きれい…。
ふと目をあげると、夕陽を浴び、茜色のライトに照らし出されたかのような桜の枝が、風に吹かれ、心地よさそうにそよいでいました。
見惚れている間に、みるみる色を失って、暮色に沈んでいく桜。
しみじみと美しさに心を動かされたのは、何日ぶりでしょう。
CDから流れる鈴木重子さんの柔らかな歌声とあいまって、涙がこぼれそうになりました。

被災した訳でもないのに、あまりのことに元気で頑張ろう、と思う気持ちと裏腹に知らず知らず心を固め、大好きな白木蓮のつぼみが出て、楽しみにしていたにも関わらず、咲いているのを見てはいても、心ここにあらずで、堪能することなく散っていました。
ある日、中央分離帯の植え込みから顔をのぞかせている土筆を見つけ、エッ、と周りを見回せば既にほとんどスギナ!知らないうちに土筆の季節が終わっていました。土筆採りが、春の訪れを満喫する楽しみなのでショックを受けたら、景色に色が戻ってきました。

3月、歩みを思い切り緩やかにしていた春が、4月に入り遅れを取り戻すかのように、一気に加速して、あれよあれよと言う間に桜は満開、欅は、一秒ごとに緑の葉を広げているのではと思うほど、つつじも咲き始め、まるで、北国の春のようです。
季節を味わえることの楽しさ、嬉しさ、有難さを思います・・・

こよみがあるから こよみをわすれて
こよみを眺めちゃ、四月だというよ
こよみがなくても こよみを知ってて
りこうな花は 四月にさくよ。
時計があるから 時間をわすれて
時計をながめちゃ、四時だというよ。
時計はなくても 時間を知ってて
りこうなとりは 四時にはなくよ。
(わたしと小鳥とすずと 金子みすず)

23年2月

静かに空から舞い降りる雪が、知らぬ間に、周りを白一色に染め上げ見慣れぬ景色が現れていました。止むことなく舞う雪を見つめているうち、心がどんどん遡ってゆきました

歩くのもままならない靴を履き、重い板をかついで歩き、時に転び、来たことを後悔した初めてのスキー場。回を重ねるうち、日が落ちるまで何度も何度も、飽きずゲレンデを行き来したり、雪原で仲間と食事を楽しんだ若い日。
陽の差さない中校庭はいつまでも雪が融けず、まるでスケートリンク。放課になるとスリッパのまま降り立ち、はしゃいだ小学生の頃
植え込みに積もった雪を、茶碗によそい、時にはそのまま木の上に口をつけ、パクリと食べた幼い日・・・しんとなった心に、とめどなく思い出される、よしなし事。

ふわふわと重さもなく、天からとめどなく舞い降りる雪、晩秋の風に乗って空に旅立つ枯葉・・・、流れのままに身をゆだねている姿になぜか心揺さぶられます・・・。

内省は自分の内部に渦巻く対立を理解する鍵となるもの
古い恐れは掘りだして捨ててしまおう
魂を美のかけらでいっぱいにしよう。
そしてゆっくりと時間をかけてそのかけらをつなぎあわせよう。
きっと一つの完全なものができるはず
(今日という日は贈りもの ナンシー・ウッド)

22年11月

秋来ぬと、目にはさやかに見えねども…、と詠まれたような、かすかな気配に秋の訪れを感じることの難しかった今年の秋。それでも窓辺に広がるケヤキの樹幹から見える空が広くなり、朝夕の、シャッシャッという竹ぼうきで掃く音が、ザッーザッーという落ち葉を集める重い音に変わり、心待ちしていた紅葉の季節の始まりを教えてくれました。
掃き集められた落ち葉の山に、サツマイモを入れて焚火をした子どもの頃を思い出します。
 まっ白い煙が辺りに立ち込めると嬉しくなって、むせながらも印を結んで、「霧隠才蔵、見参!」とか言いながら遊んだものでした。今もカサコソ音を立てて歩いたり、道に落ちたさまざまな彩りを愛でたりと、落ち葉は、様々な喜びを与えてくれます。

 壁の塗り替えでシートに覆われ、ほとんど壊滅状態だった紫式部が一部無事で、今年はきれいな実をつけてくれました。嬉しい気持ちで眺めていたある朝、妙に少なくなっていました。揺れる枝先を見るとヒヨドリが、細い枝に逆さにつかまりながら実をついばんでいます。一心な様子に、がっかりしつつ空中芸のような姿につい見惚れてしまいました。

  ベランダに出してあったゴムの木や、ベンジャミンの、ずっしり重くなった植木鉢を押しながら家に入れ、カーペットを変える我が家の冬仕度。あと何度これができるのかと、ふと感傷的になります。年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず、と言われますが、今は花も同じからずになりつつあり、だからこそ、変わらない営みが得難く大切に思われます。

「生きてゆくためにはヒトは心を通わせることが大切だ。友だちと自然を分かち合うと、顔に暖かい風が吹いてくるような気がする。この世界はすべて生きとし生けるものが分かち合う〈おうち〉なのだ      ボブ・サム(かぜがおうちをみつけるまで より)  」

22年9月

夕暮れ間近の傾きかけた西日を受けた木々が、スポットライトを浴びたかのようで、陰になった周囲との際立った明暗が美しく、ベランダで見惚れていました。

と・・・、ふいっと子供の頃、夏に出かけた山辺の親戚の家の風景が思い出されました。
斜めに差し込む夏の黄色っぽい光に照らされた、風に波打つ緑の海原のような田んぼ。
初めて入った山の川、足の小指の爪先まで見える透き通った水の冷たさ、美しさ。重なった山々の切れ目に浮かぶ入道雲を飽きず眺めたある日のこと。
そして父のこぐ自転車の後ろに乗せてもらって出かけた時、小さな川ともいえない側溝のようなところを角ぎりぎりに回った自転車の傾きに、ドキドキした時の気持ち・・・
脈絡なく、時も所も違う、そんなことが白昼夢のように思い出されました。

夏の翳りつつある西日に何故か心惹かれます。
少しずつ力を失いつつある日射しに、ほっとしつつ、もの哀しくなる感覚。
季節の移ろいの兆しを感じるのが好きなのです。
弱かったので、家の周りが行動半径のほとんどで、数えるほどしか旅行をしたこともありませんが、子どもにとっては小さな庭先さえワンダーランドでした。
だからこそ数少ない、ときめいた思い出は、一層深く心に沈んでいるのかもしれません。
思いがけない、記憶の底から浮かび上がったセピア色の夏の思い出でした。

春暮れてのち夏になり、夏果てて秋の来るにはあらず。
春はやがて夏の気をもよほし。
夏より既に秋はかよひ、秋はすなわち寒くなり、
十月は小春の天気、草も青くなり梅のつぼみぬ。・・・
(徒然草 兼好法師)

22年7月

 雨に濡れそぼったスズメがベランダの中に入って雨宿り。器用に羽根を広げ、丁寧に櫛けずるように、くちばしですいています。大きく広げた羽根が透けてとてもきれい。ちょっと小ぶりな、この子はこの前巣立っていったあの子かしら、と思ってしまいました。

 ある朝早くから、ジュクジュク、ジュジュっと、北のベランダからいつもと違うにぎやかな声が聞こえます。そーっとのぞくと、母スズメのくちばしが、せわしなく七輪の中に作られた巣に差し込まれていました。雛が孵ったようです。終わるとまた、すぐ飛び立ちます。何度も何度も繰り返す様子に母はすごいなぁと感心するばかりです。
 なんとか見たくて、少し開けた障子の隙間から子スズメが顔を出すのを待つこと数日、3羽の子スズメが顔をのぞかせているのを発見しました。それから何日か過ぎ、子スズメが巣の外に出ているようになりました。まるで観察日記をつけるように、毎朝、巣の様子をそっと窺っていたある朝、しんとしてとても静かです。その翌日も声がしません。その数日前から、ベランダのかなり端に子スズメの姿を見かけました。
とうとう巣立ちの日を迎えたようです。寂しくもあり、嬉しくもありでした。

 雨が上がり、陽が差し始めたベランダでは、スズメが砂浴の真っ最中。何度見ても可愛い仕草です。砂をついばみ、羽根をばたつかせて、砂にもぐりこんでゆきます。カメラを向けるとさっと、向かいのケヤキに逃げるすばしこさ。少しすると、またやってきます。
プランターのトマトも色づき、今年初めての蝉の声が聞こえる静かな日曜日の昼下り…。

今年も、緑が濃くなった。
見上げると、碧い空を背景に、
高い木々の枝々が、そびえる緑の塔のようだ。
風が不意に舞いこんで、無数の葉の影が降ってきた。
空気が乾いてきて、葉の繁りの匂いがきつくなった。

(長田 弘 緑の子ども より)

22年5月

団地の廃品回収で北のベランダにためてあった段ボールを出したところ、妙に枯れ枝や草が落ちています。
ん?と思い、横をみたら置いてある七輪の口から枯れ草がのぞいていました。
上に乗せてある箱をそーっと除けたら、中にびっしりと枯れ枝や、草の茎が敷き詰められ、ところどころカラスの羽も入った巣ができていました。
その数日前、段ボール下の隙間からスズメが飛び立っていくところを目撃して、「もしかしたら巣?」とふと思いましたが、まさかこんなところに、と確かめもしませんでした。
何枚も重なった段ボールの奥にある、それも上に箱があるので開口部5cm足らずの七輪をよく見つけたものと感心します。
折角隠れるのに都合のよかった段ボールが無くなってしまったのでもう来ないかも、と思いつつ、そのままにしておきました。

ゴールデン・ウィークは久しぶりの雑木林。
萌黄色に芽吹きはじめた“こなら”が、みるみる若草色の海を空イッパイに広げる様子や、風の色にほれぼれして過ごしました。
箱にできた水たまりの中に、寝ぼけ眼のモリアオガエルが一匹。近づくと後ずさりしてたまった落ち葉の中に隠れていく様子が可愛くて、つい何度ものぞきに行きましたが、気の毒でしばらく近づかないでいるうち、姿を消していました。
スズメバチもなんとなく動きが緩慢。物陰でとぐろを巻いていた小さな蛇もまだボーっとして、小鳥たちの声が響き渡る新緑の森は、いのちの交響曲が鳴り響いているようです。

家に戻ればスズメが戻っている様子に、電気をつけるのもはばかられ、抜き足差し足で歩き、少し開けた障子から外を窺う日々です。森に通ううち、苦手な虫たちにも慣れてきて、小さな生きものが身近にいる嬉しさでいっぱいです。

小鳥は 小えだのてっぺんに、
子どもは 木かげのぶらんこに、
小ちゃな葉っぱは 芽のなかに。
あの木は、あの木は、うれしかろ。
(「わたしと小鳥とすずと」 金子みすず)

平成22年3月

春を待つ雑木林に、風花まじりの通り雨が駆け抜けました。直後に、陽が射しこみ落葉の上の雨滴が宝石のようなきらめきを放ちました。
色の無い林の中で目についた鮮やかな黄緑色は山繭。
作ろうとしても出せない自然の色のなんと美しいこと。すっくと立つ枯木立の枝先で静かに揺れるブローチのようです。
鹿に樹皮をむしられた樹は、傷をふさぐように樹液を出したのか、デコボコした幹の表面は、まるでコラージュのようです。茶色の落葉の影から、緑の赤ちゃんがちらほら・・・。
ゆっくりと見回すと、冬枯れの林も、豊かな表情があふれていました。

ベランダでは、何十年も花をつけなかったシンビジウムが、昨年突然花が咲き、今年も花芽が2本伸びてきて、いくつものつぼみをつけていて喜びが込み上げます。
以前も、何年も花をつけなかった紫陽花が花開きました。ちょうど落ち込んでいた時期で、励ましてくれるかのように、ふと目を上げたその先に咲いていました。花は、人の心に寄り添ってくれる、そう思います。別のプランターではのびるやハーブが育ち始め、枯れ草を抜いたら、ぷんと香ばしい土の香りがしました。

会社ネコのノラちゃん達も、恋の季節であちらこちらにお出かけして留守がちです。
春がすぐそこまで来ています。
毎秒移ろいながら、でも毎年、同じ季節が繰り返される有難さ。
季節の兆しに、心がときめきます・・・。

明日、私が出発すると言わないで下さい
今日まだ、到着しているのだから。
深く見て下さい。
私は毎秒到着している、そして、春の樹の蕾みとなる。
羽がひよわで、新しい巣でさえずり始めた小鳥となる
花の中にいる青虫となる
石に潜んでいる宝石となる
(今日という日は贈りもの ナンシーウッド)

平成22年1月

冬枯れの森の木立から、少しばかり残った朽ち葉がパサッ・・・、パサッとしめやかな音を立てて舞い降りています。朝はごうごうと鳴る風に身体全体をゆすらせていた木々も今はしんとして、耳が痛くなるような静けさに包まれていると森にとけてゆくようです。

せっせと木の実を集めていたところに、木の杖を手にしたご老人が近づいて来られました。「染めに使うのか?」と声をかけられました。
「プレゼントのラッピング用に」、と応えると「良い趣味やな」と一言。
「お散歩ですか?」と尋ねたところ、「頼まれてここを守りしとる」と指されたのは、いつも何かしら手が入れられている、すぐ横の幼稚園の先生を養成する学校のキャンプ施設。
「きれいにされてますね」と言えば「まぁ、ぼちぼちな・・・」と嬉しそうな声。

守りをする・・・久しぶりに耳にしました。懐かしい響き。
おじいさんの声には、林への慈しみがあふれていました。
孫の守りをする。家の守りをする。畑の守りをする。森の守りをする・・・
自然の巡り、いのちの巡りの中で、預かっているいのちに役割をはたし、次にバトンを渡そうとする願いを感じます。


尊敬は最も単純なところから始まる
山に行けば、山はもう最初の雪を置いている
小川には氷の縁どり
乾いた葉が ため息をもらしながら風に運ばれる
あなたの中で何かが鎮まる
太陽に顔を向けて、すべての過ぎ去ったものに
ありがとうを、未来によろしくと言おう
尊敬とは対等であること、最悪のときにも・・・。

(今日という日は贈りもの ナンシー・ウッド)

平成21年11月

台風一過の翌朝、抜けるような青空に鼻歌交じりに洗濯物を干しながら、ふと見ると空中にきらきら光る一本の線。
よく見れば、ベランダの手すりから3m程下の木の枝先に張られた一本のクモの糸でした。
なんの手がかりもない手すりの中程から、まるで生えたように始まっています。
どうやって張ったのでしょう…。
普段クモの巣を見てもきれいだなぁ、とか、どうやって作ってゆくのだろうとは思っても、最初の一本の張られ方に気を留めたことがありませんでした。
けれど、まるで宙に浮かんでいるように、かすかに揺れる一本はとても不思議でした。

山では、山帰来(さんきらい)がつかまるところを探すかのように、つる先を宙に伸ばしていました。2mほど離れた樹にからみついている小さな野ばらのような植物は、まるで空中ブランコの踊り子が手を伸ばして相手とつながるように、垂れた先端を伸ばして山帰来と橋渡ししあい、つながりあって互いに上と、下へと伸びようとしていました。
頼りなさそうな細い枝先ですが、空中でつながれると分かっていたのでしょうか。つる性の植物は、みんな先をくるくる回しながら巻きつく先を探しているかのようですが、こんなに離れていても感じあえるのかしらとしばらく見惚れていました。

ふと気付けば、ベランダに甘い香り。・・・金木犀!。
秋の一時だけ存在をくっきりさせる地味な木立が、幸せな気持ちを運んでくれます。


しなやかなものは固いものに勝つ。
遅いものは速いものに勝つ。
自分の活動に神秘性を残しておきなさい。
人々に見せるのは結果だけにしなさい。


(「庭からの贈り物」ジュディス・ハンデルスマンより)

平成21年9月

じゅく じゅく じゅく、雀たちのにぎやかな声がします。
あ、また砂浴をしている・・・。
ある日、植え替えするために土だけにしてあったベランダのプランターの土が何だか少なくなっているように見えました。気のせいかと思ったのですが、数日後ぽっこりとした窪みが出来ていました。
???、最初何のくぼみか分かりませんでした。が、ある日、妙ににぎやかなスズメの声にベランダを見ると、スズメたちが砂浴の真っ最中でした。
細長いプランターに、数羽がすっぽりはまって、「良い湯だなぁ~」と歌が聞こえそう。
あんまり可愛くて、ついつい植えるのがためらわれ、そのままにしているうち底が見えそうな程になってしまいました。

小さなプランターでは、砂山に突き立てた旗を倒さないよう、そっと周りから土を取ってゆく子供の遊びさながらに、廻りをえぐられた花が頼りなさそうに風に揺れています。
あの小さな身体で、あんな沢山の土を吹き飛ばすなんて、すごい!と感心するばかり。
ひと夏の間に三つプランターを占拠されてしまいました。

長く伸びた黄色味を帯びた夕暮れ時の陽射しは、秋の気配を漂わせ、ベランダの紫式部の実が、ほんのりピンクの刷毛をはいたように色づき始めました。
そろそろ返してもらって、秋ものを植えましょう・・・。


朝の、光。窓の外の、静けさ。
おはよう。一日の最初の、ことば。
ゆっくりとゆっくりと、目覚めてくるもの。
熱い一杯の、カプチーノ。
やわらかな午前の、陽差し。
遠くうつってゆく季節の、気配。

(長田弘「地球という星の上で」より

平成21年7月

ある日、珍しくお昼頃買い物に行きました。折角なので、ほんのちょっぴり遠回りして公園の中を通り抜けたところ、木の下一面白いクローバーのお花畑。つい誘われて座り込んだところ、甘い香りが漂い、うっとりします。

以前、病気の友達にプレゼントしたくて四つ葉のクローバーを探したことが、ふいっと思い出され、ここにあるかなぁと見回したその先に、ありました。
ひっそりと小さな四つ葉のクローバーが1本・・・。
嬉しくなって、ここでお弁当しよう!買ってきたパンを取り出し、食べ始めたところ、視線を感じ、見ればすぐ横の木の枝にカラスが二羽。一羽が地面に舞い降りて、時々こちらを見ながら少しづつ近づいてきます。
どうしようかなぁ、悩みつつ食べ続けていましたが、二羽だけだし・・・、ひとかけらをカラスに投げた途端、湧いてきたかと思うほどのカラスが一斉にやってきて、あっという間に廻りはカラスだらけ。2~30羽いたでしょうか。
まるでヒッチコックの映画「鳥」の一場面のようです。
う~ん、上からフンが落ちてくるかも、とか、取りに来るかも・・・、と思いつつ食べること数分。残ったパンをあげようか、それとも途中だけれど帰ろうか、逡巡しはじめた矢先、一斉に飛び立ちました。飛んでゆく先を見れば、袋を持った女性が餌をまき始められたところです。カラスはスゴイ!と感心しながら、ちょっとホッとして、最後まで食べようと思って見れば、一羽がヒョウキンそうな目で、こちらをちら、ちらっと見ながら近くをうろうろしています。情にほだされ最後の一片を残して公園を後にしました・・・。


今日は死ぬのにもってこいの日だ
生きているものすべてが、わたしと呼吸を合わせている
すべての声が、わたしの中で合唱している
すべての美が、私の目の中で休もうとしてやって来た
あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった
今日は死ぬのにもってこいの日だ


(ナンシー・ウッド著今日は死ぬのにもってこいの日)

平成21年4月

寒さがやわらぎ、空気が少しとろんとして、春の気配が漂い始めたある朝早く、外の空気に触れたくてベランダに立ちました。

車の音も、人の気配もなく、ただしんと静かで心が広がるようでした。
周りを見渡すと、メジロが眼下に咲くスモモの花をついばみ、小さな野鳥たちが、まるで木の葉が舞いながら枝を離れるかのように、ひらり、ひらりと枝を飛び交い、スズメはジュジュッと鳴き交わしながら、時折地面に降り立っては何かをついばんでいます。
まるで時が止まったような静けさに、平和を絵にしたような特別な瞬間に思えた時、突然、心の奥底から湧き上がるような幸福感につつまれました。

しばし、ぼーっとしているうち、ふと何か気配を感じて下を覗き込んだところ、しげみの陰に身体中に神経を張り巡らせたような黒猫が、じっと向こうを見つめて伏せていました。
地面では、無心についばむスズメと、まるでダンスのステップよろしく右に左に足をクロスして、遊んでいるように歩くカラスが一羽。
突然、「世はこともなし」という言葉が頭に浮かびました・・・。


春の朝
時は春、
日は朝(あした)、
朝(あした)は七時、
片岡(かたおか)に露みちて、
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
蝸牛(かたつむり)枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。


ロバート・ブラウニング作 上田敏訳

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平成21年2月

毎朝の通勤途上に通る下町の住宅地。きれいに掃除された道路では、井戸端会議が開かれ、昔ながらの喫茶店に常連さんが自転車で三々五々集まって、お祭りともなれば提灯を吊るした笹が家々の軒先に飾られる地域です。

その路角に、看板もかかっていない古い小さなお豆腐屋さんがあります。
通りかかる頃は、丸くなった背にエプロンをしめたおじいさんが、いかにも働き者だった風情で歩いたり、時にはタタキに置かれた小さなイスに、やれやれ…という感じで腰掛けられている横で、おばあさんが、道に水を打ったり、植木鉢の手入れをされている光景が目に入ります。それが何となく嬉しくて、通るのが楽しみな一角です。
何年も同じ風景だったのに、シャッターが降りていました。
・・・、気にかかりました。

次の日も、その次の日もシャッターが降りたまま人気がなく、引っ越されたかなぁと思い始めた頃、シャッターが上がってほんの少し開かれたカーテンの隙間から、おばあさんの姿が見えました。おじいさんが入院でもされたか、と無事を願いながら通り過ぎる日々が1ヶ月以上も続いたある日、カーテンが全部開いてました。
おじいさんにエプロンはありませんでしたが、イスにチョコンと座っておられました。
今も同じようにカーテンが開き、お花が咲き、時折二人の姿が見られます。

死ぬということは モーツアルトを聴けなくなることだ
アインシュタインがそう言ったそうだ
その本を僕は読んでいないので
 言いかたが違っているかもしれない

生きているということは モーツアルトを聴けるということだ
何を聴こうかと選ぶに迷い
今夜もひとときひとり聴く

この深いよろこび この大きなしあわせ
生きているあいだ 生きているかぎり

『七十の夏』大木 実より


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今日も賑やかな会社のあれこれ